日語閱讀:故郷-魯迅(竹內好譯)
厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、わたしは帰った。
もう真冬の候であった。そのうえ故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風がヒューヒュー音をたてて、船の中まで吹き込んできた。苫のすきまから外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに橫たわっていた。覚えず寂寥の感が胸にこみあげた。
ああ、これが二十年來、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。
わたしの覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。わたしの故郷は、もっとずっとよかった。その美しさを思い浮かべ、その長所を言葉に表そうとすると、しかし、その影はかき消され、言葉は失われてしまう。やはりこんなふうだったかもしれないという気がしてくる。そこでわたしは、こう自分に言い聞かせた。もともと故郷はこんなふうなのだ──進歩もないかわりに、わたしが感じるような寂寥もありはしない。そう感じるのは、自分の心境が変わっただけだ。なぜなら、今度の帰郷は決して楽しいものではないのだから。
今度は、故郷に別れを告げに來たのである。わたしたちが長いこと一族で住んでいた古い家は、今はもう他人の持ち物になってしまった。明け渡しの期限は今年いっぱいである。どうしても舊暦の正月の前に、住み慣れた古い家に別れ、なじみ深い故郷をあとにして、わたしが今暮らしを立てている異郷の地へ引っ越さねばならない。
明くる日の朝早く、わたしはわが家の表門に立った。屋根には一面に枯れ草のやれ莖が、折からの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるほかなかった理由を説き明かし顔である。一緒に住んでいた親戚たちは、もう引っ越してしまったあとらしく、ひっそり閑としている。自宅の庭先まで來てみると、母はもう迎えに出ていた。あとから八歳になる甥の宏児もとび出した。
母は機嫌よかったが、さすがにやるせない表情は隠しきれなかった。わたしを座らせ、休ませ、茶をついでくれなどして、すぐ引っ越しの話はもち出さない。宏児は、わたしとは初対面なので、離れた所に立って、じっとわたしの方を見つめていた。
だが、とうとう引っ越しの話になった。わたしは、あちらの家はもう借りてあること、家具も少しは買ったこと、あとは家にある道具類をみんな売り払って、その金で買いたせばよいこと、などを話した。母もそれに賛成した。そして、荷造りもほぼ終わったこと、かさばる道具類は半分ほど処分したが、よい値にならなかったことなどを話した。
「一、二日休んだら、親戚回りをしてね、そのうえでたつとしよう。」と母は言った。
「ええ。」
「それから、閏土ね。あれが、いつも家へ來るたびに、おまえのうわさをしては、しきりに會いたがっていましたよ。おまえが著くおよその日取りは知らせておいたから、いまに來るかもしれない。」
この時突然、わたしの脳裏に不思議な畫面が繰り広げられた──紺碧の空に金色の丸い月がかかっている。その下は海辺の砂地で、見渡す限り緑の西瓜が植わっている。そのまん中に十一、二歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉を手にして立っている。そして一匹の「チャー」を目がけて、ヤッとばかり突く。すると「チャー」は、ひらりと身をかわして、彼のまたをくぐって逃げてしまう。
この少年が閏土である。彼と知り合った時、わたしもまだ十歳そこそこだった。もう三十年近い昔のことである。そのころは、父もまだ生きていたし、家の暮らし向きも楽で、わたしは坊ちゃんでいられた。ちょうどその年は、わが家が大祭の當番にあたっていた。この祭りの當番というのが、三十何年めにただ一回順番が回ってくるとかで、ごく大切な行事だった。正月に、祖先の像を祭るのである。さまざまの供物をささげ、祭器もよく吟味するし、參詣の人も多かったので、祭器をとられぬように番をする必要があった。わたしの家には「忙月」が一人いるだけである。(わたしの郷里では、雇い人は三種類ある。年間通して決まった家で働くのが「長年」、日決めで働くのが「短工」、自分でも耕作するかたわら、年末や節季や年貢集めの時などに、決まった家へ來て働くのが「忙月」と呼ばれた。)一人では手が足りぬので、彼は自分の息子の閏土に祭器の番をさせたいが、とわたしの父に申し出た。
父はそれを許した。わたしもうれしかった。というのは、かねて閏土という名は耳にしていたし、同じ年ごろなこと、また閏月の生まれで、五行の土が欠けているので父親が閏土と名づけたことも承知していたから。彼はわなをかけて小鳥を捕るのがうまかった。
それからというもの、來る日も來る日も新年が待ち遠しかった。新年になれば閏土がやって來る。待ちに待った年末になり、ある日のこと、母がわたしに、閏土が來たと知らせてくれた。とんでいってみると、彼は臺所にいた。つやのいい丸顔で、小さな毛織りの帽子をかぶり、キラキラ光る銀の首輪をはめていた。それは父親の溺愛ぶりを示すもので、どうか息子が死なないようにと神仏に願をかけて、その首輪でつなぎ止めてあるのだ。彼は人見知りだったが、わたしにだけは平気で、そばにだれもいないとよく口をきいた。半日もせずにわたしたちは仲よくなった。
その時何をしゃべったかは、覚えていない。ただ閏土が、城內へ來ていろいろ珍しいものを見たといって、はしゃいでいたことだけは記憶に殘っている。
明くる日、鳥を捕ってくれと頼むと、彼は、
「だめだよ。大雪が降ってからでなきゃ。おいらとこ、砂地に雪が降るだろ。そうしたら雪をかいて、少し空き地をこしらえるんだ。それから、大きなかごを持ってきて、短いつっかえ棒をかって、くずもみをまくんだ。そうすると、小鳥が來て食うから、その時遠くの方から、棒に結わえてある縄を引っぱるんだ。そうすると、みんなかごから逃げられないんだ。なんだっているぜ。稲鶏だの、角鶏だの、鳩だの、藍背だの…。」
それからは雪の降るのが待ち遠しくなった。
閏土はまた言うのだ。
「今は寒いけどな、夏になったら、おいらとこへ來るといいや。おいら、晝間は海へ貝殻拾いに行くんだ。赤いのも、青いのも、なんでもあるよ。『鬼おどし』もあるし、『観音様の手』もあるよ。晩には父ちゃんと西瓜の番に行くのさ。おまえも來いよ。」
「どろぼうの番?」
「そうじゃない。通りがかりの人が、のどが渇いて西瓜を取って食ったって、そんなの、おいらとこじゃどろぼうなんて思やしない。番するのは、あなぐまや、はりねずみや、チャーさ。月のある晩に、いいかい、ガリガリって音がしたら、チャーが西瓜をかじってるんだ。そうしたら手に刺*を持って、忍び寄って…。」
その時わたしはその「チャー」というのがどんなものか、見當もつかなかった──今でも見當はつかない──が、ただなんとなく、小犬のような、そして獰猛な動物だという感じがした。
「かみつかない?」
「刺叉があるじゃないか。忍び寄って、チャーを見つけたら突くのさ。あんちくしょう、りこうだから、こっちへ走ってくるよ。そうしてまたをくぐって逃げてしまうよ。なにしろ毛が油みたいにすべっこくて…。」
こんなにたくさん珍しいことがあろうなど、それまでわたしは思ってもみなかった。海には、そのような五色の貝殻があるものなのか。西瓜には、こんな危険な経歴があるものなのか。わたしは西瓜といえば、果物屋に売っているものとばかり思っていた。
「おいらとこの砂地では、高潮の時分になると『跳ね魚』がいっぱい跳ねるよ。みんなかえるみたいな足が二本あって…。」
ああ、閏土の心は神秘の寶庫で、わたしの遊び仲間とは大違いだ。こんなことはわたしの友達は何も知ってはいない。閏土が海辺にいる時、彼らはわたしと同様、高い塀に囲まれた中庭から四角な空を眺めているだけなのだ。
惜しくも正月は過ぎて、閏土は家へ帰らねばならなかった。別れがつらくて、わたしは聲をあげて泣いた。閏土も臺所の隅に隠れて、嫌がって泣いていたが、とうとう父親に連れてゆかれた。そのあと、彼は父親にことづけて、貝殻を一包みと、美しい鳥の羽を何本か屆けてくれた。わたしも一、二度何か贈り物をしたが、それきり顔を合わす機會はなかった。
今、母の口から彼の名が出たので、この子供のころの思い出が、電光のように一挙によみがえり、わたしはやっと美しい故郷を見た思いがした。わたしはすぐこう答えた。
「そりゃいいな。で──今、どんな? …。」
「どんなって…やっぱり、楽ではないようだが…。」そう答えて母は、戸外へ目をやった。
「あの連中、また來ている。道具を買うという口実で、その辺にあるものを勝手に持っていくのさ。ちょっと見てくるからね。」
母は立ち上がって出ていった。外では、數人の女の聲がしていた。わたしは宏児をこちらへ呼んで、話し相手になってやった。字は書ける?
よそへ行くの、うれしい? などなど。
「汽車に乗ってゆくの?」
「汽車に乗ってゆくんだよ。」
「お船は?」
「初めに、お船に乗って…。」
「まあまあ、こんなになって、ひげをこんなに生やして。」不意にかん高い聲が響いた。
びっくりして頭を上げてみると、わたしの前には、ほお骨の出た、唇の薄い、五十がらみの女が立っていた。両手を腰にあてがい、スカートをはかないズボン姿で足を開いて立ったところは、まるで製図用の腳の細いコンパスそっくりだった。
わたしはドキンとした。
「忘れたかね? よくだっこしてあげたものだが。」
ますますドキンとした。幸い、母が現れて口添えしてくれた。
「長いこと家にいなかったから、見忘れてしまってね。おまえ、覚えているだろ。」とわたしに向かって、「ほら、筋向かいの楊おばさん…豆腐屋の。」
そうそう、思い出した。そういえば子供のころ、筋向かいの豆腐屋に、楊おばさんという人が一日じゅう座っていて、「豆腐屋小町」と呼ばれていたっけ。しかし、その人なら白粉を塗っていたし、ほお骨もこんなに出ていないし、唇もこんなに薄くはなかったはずだ。それに一日じゅう座っていたのだから、こんなコンパスのような姿勢は、見ようにも見られなかった。そのころうわさでは、彼女のおかげで豆腐屋は商売繁盛だとされた。たぶん年齢のせいだろうか、わたしはそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。ところがコンパスのほうでは、それがいかにも不服らしく、さげすむような表情を見せた。まるでフランス人のくせにナポレオンを知らず、アメリカ人のくせにワシントンを知らぬのをあざけるといった調子で、冷笑を浮かべながら、
「忘れたのかい? なにしろ身分のあるおかたは目が上を向いているからね…。」
「そんなわけじゃないよ…ぼくは…。」わたしはどぎまぎして、立ち上がった。
「それならね、お聞きなさいよ、迅ちゃん。あんた、金持ちになったんでしょ。持ち運びだって、重くて不便ですよ。こんなガラクタ道具、じゃまだから、あたしにくれてしまいなさいよ。あたしたち貧乏人には、けっこう役に立ちますからね。」
「ぼくは金持ちじゃないよ。これを売って、その金で…。」
「おやおや、まあまあ、知事様になっても金持ちじゃない? 現にお妾が三人もいて、お出ましは八人かきのかごで、それでも金持ちじゃない? フン、だまそうたって、そうはいきませんよ。」
返事のしようがないので、わたしは口を閉じたまま立っていた。
「ああ、ああ、金がたまれば財布のひもを締める。財布のひもを締めるからまたたまる…。」コンパスは、ふくれっつらで背を向けると、ぶつぶつ言いながら、ゆっくりした足どりで出ていった。行きがけの駄賃に母の手袋をズボンの下へねじ込んで。
そのあと、近所にいる親戚が何人も訪ねてきた。その応対に追われながら、暇をみて荷ごしらえをした。そんなことで四、五日つぶれた。
ある寒い日の午後、わたしは食後の茶でくつろいでいた。表に人の気配がしたので、振り向いてみた。思わずアッと聲が出かかった。急いで立ち上がって迎えた。
來た客は閏土である。ひと目で閏土とわかったものの、その閏土は、わたしの記憶にある閏土とは似もつかなかった。背丈は倍ほどになり、昔のつやのいい丸顔は、今では黃ばんだ色に変わり、しかも深いしわがたたまれていた。目も、彼の父親がそうであったように、周りが赤くはれている。わたしは知っている。海辺で耕作する者は、一日じゅう潮風に吹かれるせいで、よくこうなる。頭には古ぼけた毛織りの帽子、身には薄手の綿入れ一枚、全身ぶるぶる震えている。紙包みと長いきせるを手に提げている。その手も、わたしの記憶にある血色のいい、まるまるした手ではなく、太い、節くれだった、しかもひび割れた、松の幹のような手である。
わたしは感激で胸がいっぱいになり、しかしどう口をきいたものやら思案がつかぬままに、ひと言、
「ああ、閏ちゃん──よく來たね…。」続いて言いたいことが、あとからあとから、數珠つなぎになって出かかった。角鶏、跳ね魚、貝殻、チャー…だがそれらは、何かでせき止められたように、頭の中を駆けめぐるだけで、口からは出なかった。
彼は突っ立ったままだった。喜びと寂しさの色が顔に現れた。唇が動いたが、聲にはならなかった。最後に、うやうやしい態度に変わって、はっきりこう言った。
「だんな様! …。」
わたしは身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。わたしは口がきけなかった。
彼は後ろを向いて、「水生、だんな様におじぎしな。」と言って、彼の背に隠れていた子供を前へ出した。これぞまさしく三十年前の閏土であった。いくらかやせて、顔色が悪く、銀の首輪もしていない違いはあるけれども。「これが五番めの子でございます。世間へ出さぬものですから、おどおどしておりまして…。」
母と宏児が二階から降りてきた。話し聲を聞きつけたのだろう。
「ご隠居様、お手紙は早くにいただきました。全く、うれしくてたまりませんでした、だんな様がお帰りになると聞きまして…。」と閏土は言った。
「まあ、なんだってそんな、他人行儀にするんだね。おまえたち、昔は兄弟の仲じゃないか。昔のように、迅ちゃん、でいいんだよ。」と母は、うれしそうに言った。
「めっそうな、ご隠居様、なんとも…とんでもないことでございます。あのころは子供で、なんのわきまえもなく…。」そしてまたも水生を前に出しておじぎさせようとしたが、子供ははにかんで、父親の背にしがみついたままだった。
「これが水生? 五番めだね。知らない人ばかりだから、はにかむのも無理ない。宏児や、あちらで一緒に遊んでおやり。」と母は言った。
言われて宏児は、水生を誘い、水生もうれしそうに、そろって出ていった。母は閏土に席を勧めた。彼はしばらくためらったあと、ようやく腰を下ろした。長ぎせるをテーブルに立てかけて、紙包みを差し出した。
「冬場は、ろくなものがございません。少しばかり、青豆の干したのですが、自分とこのですから、どうかだんな様に…。」
わたしは、暮らし向きについて尋ねた。彼は首を振るばかりだった。
「とてもとても。今では六番めの子も役に立ちますが、それでも追っつけません…世間は物騒だし…どっちを向いても金は取られほうだい、きまりもなにも…作柄もよくございません。作った物を売りに行けば、何度も稅金を取られて、元は切れるし、そうかといって売らなければ、腐らせるばかりで…。」
首を振りどおしである。顔にはたくさんのしわがたたまれているが、まるで石像のように、そのしわは少しも動かなかった。苦しみを感じはしても、それを言い表すすべがないように、しばらく沈黙し、それからきせるを取り上げて、黙々とたばこをふかした。
母が都合をきくと、家に用が多いから、明日は帰らねばならぬという。それに晝飯もまだと言うので、自分で臺所へ行って、飯をいためて食べるように勧めた。
彼が出ていったあと、母とわたしとは彼の境遇を思ってため息をついた。子だくさん、兇作、重い稅金、兵隊、匪賊、役人、地主、みんな寄ってたかって彼をいじめて、デクノボーみたいな人間にしてしまったのだ。母は、持っていかぬ品物はみんなくれてやろう、好きなように選ばせよう、とわたしに言った。
午後、彼は品物を選び出した。長テーブル二個、いす四腳、香爐と燭臺一組み、大秤一本。そのほかわら灰もみんな欲しいと言った。(わたしたちのところでは、炊事の時わらを燃す。その灰は砂地の肥料になる。)わたしたちが旅立つ時來て船で運ぶ、と言った。
夜はまた世間話をした。とりとめのない話ばかりだった。明くる日の朝、彼は水生を連れて帰っていった。
それからまた九日して、わたしたちの旅立ちの日になった。閏土は朝から來ていた。水生は連れずに、五歳になる女の子に船の番をさせていた。それぞれに一日じゅう忙しくて、もう話をする暇はなかった。客も多かった。見送りに來る者、品物を取りに來る者、見送りがてら品物を取りに來る者。夕方になって、わたしたちが船に乗り込むころには、この古い家にあった大小さまざまのガラクタ類は、すっかり片づいていた。
船はひたすら前進した。両岸の緑の山々は、たそがれの中で薄墨色に変わり、次次と船尾に消えた。
わたしと一緒に窓辺にもたれて、暮れてゆく外の景色を眺めていた宏児が、ふと問いかけた。
「おじさん、ぼくたち、いつ帰ってくるの?」
「帰ってくる? どうしてまた、行きもしないうちに、帰るなんて考えたんだい?」
「だって、水生がぼくに、家へ遊びに來いって。」
大きな黒い目をみはって、彼はじっと考えこんでいた。
わたしも、わたしの母も、はっと胸をつかれた。そして話がまた閏土のことに戻った。母はこう語った。例の豆腐屋小町の楊おばさんは、わたしの家で片づけが始まってから、毎日必ずやってきたが、おととい、灰の山からわんや皿を十個あまり掘り出した。あれこれ議論の末、それは閏土が埋めておいたにちがいない、灰を運ぶ時、一緒に持ち帰れるから、という結論になった。楊おばさんは、この発見を手柄顔に、「犬じらし」(これはわたしたちのところで鶏を飼うのに使う。木の板にさくを取り付けた道具で、中に食べ物を入れておくと、鶏は首を伸ばしてついばむことができるが、犬にはできないので、見てじれるだけである。)をつかんで飛ぶように走り去った。てん足用の底の高い靴で、よくもと思うほど速かったそうだ。
古い家はますます遠くなり、故郷の山や水もますます遠くなる。だが名殘惜しい気はしない。自分の周りに目に見えぬ高い壁があって、その中に自分だけ取り殘されたように、気がめいるだけである。西瓜畑の銀の首輪の小英雄の面影は、もとは鮮明このうえなかったのが、今では急にぼんやりしてしまった。これもたまらなく悲しい。
母と宏児とは寢入った。
わたしも橫になって、船の底に水のぶつかる音を聞きながら、今、自分は、自分の道を歩いているとわかった。思えばわたしと閏土との距離は全く遠くなったが、若い世代は今でも心が通い合い、現に宏児は水生のことを慕っている。せめて彼らだけは、わたしと違って、互いに隔絶することのないように…とはいっても、彼らが一つ心でいたいがために、わたしのように、無駄の積み重ねで魂をすり減らす生活をともにすることは願わない。また閏土のように、打ちひしがれて心がまひする生活をともにすることも願わない。また他の人のように、やけを起こしてのほうずに走る生活をともにすることも願わない。希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。わたしたちの経験しなかった新しい生活を。
希望という考えが浮かんだので、わたしはどきっとした。たしか閏土が香爐と燭臺を所望した時、わたしはあい変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑ったものだが、今わたしのいう希望も、やはり手製の偶像にすぎぬのではないか。ただ彼の望むものはすぐ手に入り、わたしの望むものは手に入りにくいだけだ。
まどろみかけたわたしの目に、海辺の広い緑の砂地が浮かんでくる。その上の紺碧の空には、金色の丸い月がかかっている。思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
竹內 好(たけうち よしみ)
(1910-1977、明治43年-昭和52年)
昭和52年3月3日歿 66歳 多磨霊園
昭和期の中國文學者 1933(S武田泰淳らと中國文學研究會をつくり機関誌「中國文學月報」を発刊。応召、復員後は、近代文學とくに魯迅の研究、翻訳にあたる。また54「國民文學論」を発表し論爭を展開するなど、日本と中國、日本文化などの問題をめぐり論壇で活躍した。
61安保反対闘爭後、都立大教授を辭し、その後、雑誌「中國」を主宰、獨自の発言を行った。著書に「魯迅」「不服従の遺産」61、評論集などがある。
其他有趣的翻譯
- 日語社會學論文一
- 日語社會學論文二
- 《毛選》日文翻譯的一點體會
- 日語閱讀:「もののけ姫」劇本
- 日語閱讀:「耳をすませば」劇本
- 日語閱讀:「となりのととろ」劇本
- 增強老師的日語經驗
- 日語閱讀:猿と蟹 (さるとかに)
- 日語閱讀:一寸法師(いっすんぼうし)
- 日語閱讀:やまんばと牛方
- 日語:從「愛車(あいしゃ)」說起
- 日語閱讀:水の三日(by芥川龍之介)
- 日語閱讀:急増…國語世論調査
- 日語閱讀:文化庁の日本語世論調査
- 日語閱讀:かぐや姫
- 日語閱讀:鶴の恩返し
- 日語閱讀:《桃太郎》
- 日語閱讀:浦島太郎
- 日語閱讀:笠地蔵(かさじぞう)
- 日語閱讀:カメとツル (亀と鶴)
- 日語閱讀:舌切り雀
- 日語閱讀:寶くらべ
- 成瀨巳喜男小傳
- 初級日語模擬題
- 日語社會學論文三
- 日語社會學論文四
網友關注
- 日本的和服(漢語)
- つまらないもの
- 日語閱讀:劉和珍君を紀念して
- 日語閱讀:九州に名を響かせた戦國大名
- 日語閱讀:赤い蝋燭
- だめなパパ(中日對照)
- 日語閱讀:見聞諸家紋1
- 牡丹と桜の縁(中日對照)
- 日語閱讀:安史の亂と唐の変質
- 風景としての日本語(中日對照)
- 日語閱讀:先人の哲學
- 日語閱讀:我是高中生
- 交通違反はつらいよ
- 日語閱讀:お金を持たずに出國
- 農村の嫁不足
- 食べ物は最高の友好親善大使(中日對照)
- 松下電器産業
- 日語閱讀:風の谷のナウシカ
- 日常日語書信寫作要領
- 日語閱讀:枯葉散る 夕暮れは
- 日語書信基礎知識
- デビットカード
- タイタニック號現象
- 強い志を持つ朋に會えた(中日對照)
- 資格でステップアップ
- 東京愛情故事 經典臺詞(中日對照)
- 日語閱讀:火影經典臺詞
- 初めての中國(中日對照)
- 日語閱讀:日本文學史レポート
- 桜に思う(中日對照)
- 日語閱讀:桜の種類
- 桜の季節(中日對照)
- 生徒會長として(中日對照)
- 若者の間に広がるルームシェア
- 日語閱讀:料理小話(中國料理と日本料理)
- 外では友だちが頼り(中日對照)
- 日語閱讀:故宮博物院総説
- 自分の力を伸ばしたい(中日對照)
- 日語閱讀:鎮西、戦國通史
- 「ワリカン文化」(中日對照)
- 厳しい満員電車
- 經典日本文學有聲故事集:新美南吉- 螃蟹的買賣
- 日語閱讀:潘老人
- 母愛(中日對照)
- 京劇役者をめざして(中日對照)
- 「多子多福」を願う伝統(中日對照)
- 日語閱讀:姬路霸主——小寺氏
- 日語閱讀:『おはよう』は何時まで?
- 日語閱讀:日語爆笑
- 日語閱讀:明朝中期以降・朝鮮
- 蟬の聲(中日對照)
- 和服(わふく)とは(日語)
- 古くて新しい木造住宅
- 赤壁賦(蘇軾)中日對照學習
- 人民元切上げ用語集(日中英對照)
- 友情の積み重ねが大切(中日對照)
- 「回し飲み」(中日對照)
- 經典日本文學有聲故事集:新美南吉- 去年的樹
- 日語閱讀:日本の「建前」と「本音」
- 真實的18歲(中日對照)
- 弱くなった子供
- 「なまもの」好きの日本人(中日對照)
- (中日對照)
- 梅雨の花嫁
- 日語閱讀:朝廷公家家族
- 學問の海に深まる友情(中日對照)
- 親友の笑顔が教えてくれたこと(中日對照)
- 戀するとキレイになる(中日對照)
- 日語閱讀:の訳語はやっと見つけました
- 日語閱讀:九州の戦國大名,有力國人
- 出師表(日語版)
- 「ほのぼのローン」(中日對照)
- ストレス美容の噓(中日對照)
- 經典日本文學有聲故事集:楠山正雄-浦島太郎
- マッサージ
- 日語閱讀:あんみつ姫
- 新米(中日對照)
- 日語閱讀:粟鹿大明神元記
- 桜と牡丹(中日對照)
- 富士山
- 食在中國(中日對照)
精品推薦
- 托克遜縣05月30日天氣:晴,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:32/18℃
- 平安縣05月30日天氣:小雨轉中雨,風向:東風,風力:<3級,氣溫:26/11℃
- 潛江05月30日天氣:多云,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:27/21℃
- 大安市05月30日天氣:晴轉多云,風向:東南風,風力:<3級,氣溫:25/14℃
- 烏爾禾區05月30日天氣:多云轉晴,風向:西風,風力:4-5級轉<3級,氣溫:22/13℃
- 原州區05月30日天氣:晴轉小雨,風向:無持續風向,風力:<3級轉3-4級,氣溫:24/11℃
- 廣河縣05月30日天氣:小雨轉中雨,風向:東北風,風力:3-4級轉<3級,氣溫:26/15℃
- 澄邁縣05月30日天氣:多云,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:34/24℃
- 輪臺縣05月30日天氣:晴,風向:無持續風向,風力:<3級,氣溫:24/11℃
- 響水縣05月30日天氣:多云,風向:東北風,風力:<3級,氣溫:21/16℃
分類導航
熱門有趣的翻譯
- 《走遍日本》Ⅱ 情景會話:七 家庭訪問
- 日語詞匯學習資料:初級上冊 單詞46
- 大義親を滅す
- 日語語法學習:標準日語句型學習(十一)
- 日語口語教程42:社內通知(1)
- 【聽故事學日語輔導】獵人和獅子的較量
- 日語 常用語法487句
- 日語新聞核心詞匯 經濟篇(07)
- 雙語閱讀:睡太郎在想什么呢?
- 日語輔導資料之扶桑快報閱讀精選素材78
- 小倉百人一首(45)
- 日語會話:舌がこえてる
- 貨物及運輸之專用日語
- 日語考試專題輔導資料之詞匯集合10
- 日語情景對話:ふる 吹了
- 柯南:動漫中最帥氣的眼鏡男
- 日語閱讀:東山文化・文化
- ジパングの由來
- 日語3、4級進階閱讀-45(キヨスク)
- 日語3、4級進階閱讀-117(日本の慣用句)
- 日語語法講解:日本語能力考試四級語法詳解(3)
- 部分機械日語
- 日語擬聲詞-擬態詞系列54
- 日語一、二級語法逐個練習-22
- 日語一、二級語法逐個練79
- 基礎語法從頭學:新標日初級第22課