看看日本人如何評價三國人物(4)
呂蒙の義
その後、孫呉は曹操軍という強大な軍と対峙をすることになる。赤壁の戦いである。呂蒙伝では、赤壁の戦いでの彼の活躍が書かれてはいないが、當然、火計で敵の船団を炎上させた後、呂蒙は曹操軍を追い、一定の成果を挙げたと考えられる。
赤壁勝利後、周瑜は軍を江陵に進め曹仁と対峙する。この際、益州から襲粛という武將が呉への帰順を申し出た。周瑜は襲粛の軍勢を呂蒙に加増するように上表したが、呂蒙は襲粛という人物は度胸がある上に有能で、その上、我が軍を慕ってきている者の軍勢を取り上げるのは同義的に間違えていると反論する。それを聞いた孫権は納得し襲粛に兵を返したという。
呂蒙とは義を大事にする人のようで、後に呂蒙は屯所が近かった成當、宋定、徐顧の三將が死んだとき、彼等の子弟は幼少であったため、孫権はその軍勢を全て呂蒙の軍に組み入れようとした。しかし、呂蒙はそれを固く辭退し、三將の呉に対する貢獻を考えれば子弟が幼くとも廃してはならないと陳情した。上書が三度に及んで孫権はようやく聞きいれ、その後、呂蒙はその子弟のために帥を選び教導させたとある。
江陵の戦い
さて、江陵の戦いでは甘寧が千名の手勢を率いて守りが薄くなっている夷陵に急襲し城を乗っ取る。背後を取られた、曹仁はすぐさま、五千名の軍を夷陵に送り甘寧を包囲する。甘寧は本隊に援軍の要請を出すが、呉軍內ではとてもじゃないが兵を裂いて援軍を送れる狀態ではないという意見が多かった。
しかし、呂蒙はその意見に真っ向から反論をした。“興覇を見殺しにする訳にはいかないでしょう。ここの守りは凌公績に任せれば良い。そして我々は興覇をすぐに助けに行きましょう。公績であれば10日間はここを守りきります。それに関しては私が保証いたします。”
周瑜は呂蒙の獻策に驚いた。まだ齢二十歳の凌統が曹仁を相手に10日間持ちこたえられるのだろうか??????.彼は凌統を呼び出し、5千の兵で曹仁相手に10日間持ちこたえられるかどうか尋ねると、凌統は10日間であれば間違いなく守りきりますと即答した。
周瑜は夷陵に向けて進軍した。道中、呂蒙は周瑜の元に行き、“ここの狹道は敵軍の退路となります。ここに障害物を置いておけば敵軍の馬を手に入れることが出來るでしょう。”と獻策する。周瑜は呂蒙に全てを任せ、夷陵に進み敵軍を蹴散らした。敵軍は夜中に遁走したが、途中、この障害物のせいで騎兵は全員馬を降りて逃げることになった。
実は橫山三國志の影響が強い私は、この障害物で魏兵は馬を降り、その間に呉兵の弓矢に撃たれてバタバタと倒れていくことを想像していた。つまり、殘存する敵兵を更に痛みつけるためにこの障害物は置かれたのだと思っていた。呂蒙伝でもこの障害物があるために呉兵は追いつき攻撃したと書いているので間違いではない。だが、気になっていたのは“馬”を奪ったことをどうも強調しているように感じた。
そこで、小さな役に立たない自分の脳みそを使って考えると、呂蒙の凄さが分かった。呂蒙の障害物には2つの意味がある。一つは逃亡する敵兵をとことん叩くこと。もう一つは、やはり馬なのである。
恐らく、赤壁の戦いの後、そのままの流れで江陵に攻め込んでいる孫呉軍の基本は水軍である。つまり、馬が不足していたのであろう。そして、曹操軍の強さは騎馬にある。敵の殘存兵力を叩き、ついでに敵の武器の馬を奪い取り、自軍の足りない部分に補う。まさに一石三鳥の策であった。この策により、呉軍は三百頭もの馬を手に入れた。
その後、曹仁軍は城に篭もり孫呉軍はこれを包囲した。この戦いは周瑜伝にて詳しく書いているのでここでは割愛するが、周瑜が流れ矢に當たるという事故がありながらも孫呉軍はなんとか曹仁軍を退け、江陵を手に入れることに成功するのである。
呂蒙はこの戦いの功績を認められ、帰國後、偏將軍を拝命し尋陽の県令を領した。
呉下の阿蒙
江陵の戦いでの流れ矢が影響したのだろうか??????.周瑜は益州に兵を向けるべく手配をしている矢先に他界してしまった。周瑜の後を引き継いだのは魯粛であり、魯粛は陸口に赴任することになる。
その魯粛が陸口に赴任する際、呂蒙の駐屯地の側を通りかかった。しかし、魯粛は呂蒙を學問の面で軽蔑しており、そのまま呂蒙を無視して陸口に向かうつもりであったが、配下に“呂將軍の功名は日ごとに顕著になっており、昔の気持ちで接してはなりませぬ。それを考慮されたほうがよろしいかと思われます”と説いたので、魯粛は呂蒙の元へ挨拶に立ち寄った。
魯粛と酒宴を行っているとき、呂蒙は魯粛に関羽と隣接することになったが、どのような計略によって不慮の事態に備えているのか聞いた。魯粛は、その時になったら考えるさと適當に呂蒙をあしらった。すると、呂蒙は、今は彼等も家族かもしれません。しかし、予め計略を立てておく必要はあるかと思われます。と言った後、魯粛に自分が考えている5つの策略を伝えた。
呂蒙の策を聞いた後、魯粛は驚き喜んだ。そして呂蒙に、“お前さんは武略しかない人間だと思っていたが、今じゃ學識は広く明るく、呉下の蒙ちゃんじゃなくなってしまったな”と冷やかし気味に言うと、呂蒙は、“士、別れて三日、刮目して相待すべしと言います”と切り替えした。三國志の中でも特に有名な話である。
元々、學識の無かった呂蒙がこれだけの知恵者になれたのは孫権に勉學を勧められたのが大きい。江表伝では孫権が呂蒙と蔣欽に勉學に勵めと命令したところ、呂蒙が軍事で忙しくそれどころではないと言い訳をしたので、孫権はお前より忙しいわしはちゃんと學んでおるぞ孟徳ですら年老いてから學問を好むようになったと言う。言い訳しないで學問に就いてみろ!と命令をした。それから呂蒙は勉學に勵み呉では右に出るものがいなくなるぐらい博識になった。
呂蒙の目覚しい進歩を目の當たりにした魯粛は後日、呂蒙の母親の元を訪れ挨拶をし、呂蒙と親交を深めていくのであった。
呂蒙の智謀
さて、孫呉軍は周瑜死後、魏軍と合肥や濡須で激戦を繰り返すことになる。まずは濡須での戦いであった。曹操軍の進軍を防ぐために呂蒙は孫権に河口を挾んで防塁を築くように勧めた。しかし、この案に対してほとんどの武將が、防塁が無くとも敵を簡単に退けられると唱えたが、呂蒙は敵の進軍の速さによっては防塁が無いと危険であると主張し孫権を説得して防塁を築いた。
この防塁のお陰で濡須での防備は極めて厳重となり、曹操軍は進軍してきたものの陥落することが出來ないと判斷して撤退することになる。そして、この防塁は曹操軍の侵略を食い止める重大な役割を今後も果たすのである。
濡須から撤退した後、曹操は朱光を慮江太守として皖に屯させ盛んに稲田を開拓させた。そして、間者に命じて鄱陽賊の総帥を誘わせ內応させようとした。これを知った呂蒙は孫権に皖の稲田はよく肥えており、一度収穫をさせてしまうと相手の軍勢は必ず増大することになるでしょう。それが數年も続けばここを兵糧元に曹操は呉に攻めあがってくるのは間違いないと思われます。早急にこれを除去すべきですと進言した。
この進言を受けて、孫権は皖に親征することを決め、諸將を引見して計策を聞いた。ほとんどの將は土山を築いて攻具(攻城兵器)を設置し城攻めをすべきだと主張したが、呂蒙は孫権の前に走り出て、攻具を用意して土山を築くとなると完成までに何ヶ月もかかってしまいます。それだけの猶予を敵に與えれば、防備は堅固となり外部からの救援も到著することになり攻略できなくなることは明白ですと進言した。
ならばどうするという孫権の問いに、呂蒙は、この城を観察してみたところ、堅固さを極めたものではございません。三軍の鋭気に乗じて四方から一斉攻撃をしかければ時をかけずして陥落させられましょう。そして素早く、水位の高い今の時期に船で帰還するのが完勝の道でございますと答えた。孫権は呂蒙の獻策を用いた。
呂蒙は甘寧を升城督に推薦して最前線で攻撃を指揮させ、自らは精鋭を率いて後詰にあたることにした。孫呉軍は、早朝に進攻を開始し、呂蒙はその手に枹を取って太鼓を打つと士卒たちはみな奮い立って我先にと城壁を登っていき、僅かな時間で城を落とした
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